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大阪高等裁判所 昭和43年(う)825号 判決

被告人 藤原融

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四月に処する。

但し本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

被告人の本件控訴を棄却する。

理由

検察官の控訴趣意は、京都地方検察庁検察官桃沢全司作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

ところで、右控訴趣意について判断を加えるに先立ち、職権を以て調査するに、本件記録によれば、被告人の原審弁護人金川琢郎より、昭和四三年三月二八日原判決につき適法な控訴の申立があつたことが認められるけれども、指定された控訴趣意書提出期間内に控訴趣意書が差し出されていないことが明らかであるから、被告人についての本件控訴は、刑事訴訟法第三七六条第一項、第三八六条第一項第一号、刑事訴訟規則第二四〇条により棄却を免れない。

検察官の控訴趣意について

よつて調査するに、本件記録によれば、原判決は、被告人に対する「被告人は、京都大学々生であるが、昭和四一年五月二五日午後二時四〇分頃、京都府川端警察署東一条巡査派出所勤務、巡査斉藤常夫(当三八年)が警ら中防犯上等の実態は握のため、京都市左京区吉田泉殿町一番地京都大学西部構内所在の京都大学生活協同組合西部食堂に巡回連絡に赴いたところ、同食堂において京都大学同学会役員その他の学生から大学構内立ち入りの目的等について詰問を受けたためこれを釈明し、同時五〇分頃構外に出ようとするや、右食堂前から西部構内南側通用門に至る通路においてこれを阻止しようとして、同巡査に対し前方からしがみついて押し、両手で肩を押えつけ、背後から襟首や帯革の負い革を掴んで引張る等の暴行を加え、もつて同巡査の職務の執行を妨害した」との公訴事実に対し、被告人が斉藤巡査に対して略々右と同趣旨の暴行を加えた事実を認定したが、当時同巡査が職務執行中であつたとの点については、同巡査は当時既に巡回連絡を終わつており、また警ら中でもなかつたとして公務執行妨害罪の成立を否定し、単純暴行罪のみを以て処断していることが認められる。

所論は、原判決は「本件巡回連絡は、警ら中になされたものではないから、本件暴行は、斉藤巡査の警ら中に行なわれたものとは云えない。従つて、当時同巡査が職務執行中であつたとは認められない」旨判断するが、元来巡回連絡とは、外勤警察官が派出所を出所し、各戸を訪問して帰所するまでの間の一連の行為を総称する勤務であつて、常に警ら的任務を伴うものであるから、この間警察官が一時休息をとるなど執務の意思を放棄したと見うる特段の事由のない限り、出所から帰所までの勤務を全体として一個の公務とみるべきであるから、外勤警察官が各戸を訪問するごとに当該警察官の職務が発生し、終了する性質のものではない旨主張し、その理由を縷述する。

よつて、案ずるに、巡回連絡及び警らは、いずれも警察法第二条第一項所定の警察の責務である公共の安全と秩序の維持のために行なわれる派出所等勤務警察官の外勤活動であるが、巡回連絡は、家庭、商社、工場等の各戸を訪問し、犯罪の予防および災害事故等の防止の指導連絡を行ない、良好な公衆関係を保持するとともに、その協力を得て、受持区の実態を掌握すること(昭和三〇年一二月一日京都府警察本部訓令第五〇号外勤警察官の勤務に関する訓令第三六条)を職務内容とするところ、警らは、周密鋭敏な観察力および注意力を発揮し、職務質問を励行し、異状または不審と認められる事象の発見およびその真相の究明につとめ、個人の生命身体および財産の保護、犯罪の予防、検挙、交通の取締、危険の防止等にあたるとともに、治安上必要な情勢のは握および犯罪情報の収集につとめること(同訓令第三一条)を職務内容としているから、両者ひとしく外勤活動であるとはいいながら、巡回連絡は、巡回先である特定の家庭その他の各戸を対象として行なわれ、その途中及び巡回先に該当しない各戸は一応その対象外とされており、そのため通常巡回先毎に職務が執行され終了するものと考えられるのに対し、警らは、担当する受持区の全部または一部の区域を対象として行なわれ、かつ、その性質上継続的なものであるから、通常派出所等を出所した時から帰所するまでの間職務が引き続き執行されているものと考えられるので、たとえ巡回連絡には警ら的任務が含まれているとしても、それは飽くまでも各戸訪問と密接に関連する限度、すなわち、その職務を執行するに当つての限度内に止まり、それ以外の場合には及ばないものと解するのを相当とする。従つて、巡回連絡は所論のように常に警らを伴うものとは考えられない。このことは、前記訓令においても外勤警察官の勤務種別として警らと巡回連絡とを区別して規定し(右訓令第二五条第一号)、また「警らと巡回連絡とは受持区または共同の警ら区の状況その他の理由により必要と認めるときは、あわせて行なうことができる」と規定され(右訓令第二九条第二項)ているように、両者を別個のものとして取り扱つており、決して巡回連絡は必ず警らを含むものとはされていないことからもうかがわれるところである。もつとも、当審証人斉藤常夫の供述によると、同人は右と異なつた解釈をとつているようであるけれどもにわかに賛成することはできないし、巡回連絡には常に警らを伴うものであることを前提とする所論も採用することはできない。してみると、巡回連絡は、それ自体警らを内容とせず、両者は別個の職務であるとして、本件巡回連絡が警ら中になされたものではない旨の判断をした原判決には、所論のような法令の解釈適用の誤りはない。

次に所論は、原判決は「本件暴行は、西部食堂を出て校門に近いところで行なわれているから、職務執行直後には当らず、また続いて工学部等に行く予定であつたようであるが、その着手または着手直前の状態にあつたともいえないから、斉藤巡査の巡回連絡の職務執行を妨害したものとは云えない」旨判断するが、本件暴行は、斉藤巡査の職務の執行に際し行なわれたものであるから、公務執行妨害罪を構成する旨主張し、その理由を縷述する。

よつて調査するに、原審で取り調べられた総ての証拠を検討し、後記「証拠の標目」欄挙示の証拠によれば、以下の事実を認めることができる。すなわち、京都府川端警察署東一条巡査派出所勤務の警ら第一係斉藤常夫(当時三八才)は、原判示の日の午後二時頃制服制帽を着用し、拳銃警棒を携帯したうえ、午後四時までの二時間をその受持区域である同大学西部構内所在の京都大学生活協同組合西部食堂、同大学工学部高分子教室及び保険会社の三か所を訪ねて、前記の防犯上などのための巡回連絡を行なうこととして、その目的で右派出所を出発し、同日午後二時四〇分頃先ず右西部食堂に赴き、同食堂主任藤原宇之助から同食堂の理事者氏名、夜間宿直員の有無、非常の場合の連絡先、従業員の数・性別、責任者の電話番号等を聞き取り、以前に行なわれた巡回連絡の時点後に異動のあつたものについては携行していた右派出所備付の案内簿の官公署等カードに記載する等して五、六分で同食堂を立ち出で、その北側にある次の巡回連絡先の同大学工学部高分子教室へ行くべく自転車を取りに同食堂から同大学西部構内を東方に向かつて二、三十メートル歩いた際、京大同学会山田委員長に呼びとめられ、大学構内に立ち入つた目的等を質されたので、巡回連絡のため西部食堂に行つてきた旨釈明し、さらに二、三の問答があつた後、さらに同人からその真偽を確かめると称して同行を求められ、やむなく同人と共に再び西部食堂に引き返し、山田委員長において藤原主任に右事実を確かめ右釈明の間違いないことが判明したのに拘わらず、同委員長はなおも巡回連絡の名の下に他の目的で来たのではないかと疑い、同巡査を帰さないばかりでなく居合わせた食堂従業員及び集まつた学生らにその見張りを頼んでその場を出て行つたので、斉藤巡査は、午後三時一八分頃同食堂内の公衆電話で川端警察署正田警備係長に事態を報告し、速やかに話がつけば予定どおり残りの巡回連絡に行く積りでいたところ、間もなく戻つて来た山田委員長から再び前同様の詰問が繰り返えされ、その都度前記釈明を行ない、当食堂から引き続き同大学工学部高分子教室へ行く途中であつた旨答えたのであるが、さらに「誰の命令で来たか。案内簿を見せよ」「偽警官ではないか。警察手帳を見せろ」「入つてきた目的と無断で大学構内に立ち入つたことの誓約書を書け」と要求され、これに対して同巡査は、「制服を着用し公務で来ている以上、そのような要求に応じられない」旨答えて強硬に拒否していたところ、その間周囲の学生は次第に増加し、被告人を含めて五、六十名に達し、これら多数の学生によつて取り囲まれ、また出入口を塞がれた中で、交々右と同趣旨のことを同巡査に執拗に詰問し要求していわゆるつるしあげが行なわれ、騒然たる状況を呈するに至つた。その頃この事態を知つて同食堂に駆けつけた同大学教授西尾学生部長は、同巡査の前記釈明を聞き、同巡査の当食堂に来た目的、さらに工学部高分子教室に行く予定であること等も判明したので、その場を穏便に納めるため同巡査に「学生が納得するだろうから、案内簿及び警察手帳を見せてやつてくれ」「誓約書も書いてやつてくれ」と同巡査を説得したため、同巡査もやむなく右案内簿等を山田委員長らに示し、かつ「昭和四十一年五月二十五日午後二時四十分ごろ、巡回連絡のため、京大西部構内に入りました。二度と立入りません」旨の同巡査名義の誓約書及び「いろいろな場合の連絡先とか責任者とか従業員の人数などをききに来た」旨の同巡査名義の書面各一通を作成して山田委員長に交付し、さらにその頃、その場に来合わせた同大学生活協同組合の池田総務部長にもそれまでの経緯を説明した結果、山田委員長は西尾学生部長らと話し合い漸く同巡査を帰すことになり、山田委員長より周囲の学生に対し右の趣旨を説明し、次いで午後四時四七分頃西尾学生部長が同巡査を誘導して同食堂北東側出入口に向かつたところ、右の事情を知りながら、右山田委員長の処置を不満とする被告人を含む多数の学生はこれを納得せず、その前方に立ち塞がつて前進を阻止する等したため、同委員長の処置に賛成の学生との間で小競合いが始まる等、混乱のうちに漸く午後四時五二分頃同食堂から出ることができた。他方、斉藤巡査から前記電話連絡を受けた川端警察署では、同署警備課長大久保警部をして同大学に電話をかけさせ、姫野学生課長及び同課長を通じて西尾学生部長に対し強硬に斉藤巡査を大学構外に出すよう要求し、その後西尾学生部長との話合いにより、午後四時五〇分までに大学通用門のところで同巡査の身柄の受け渡しをすることになつたので、大久保警部ら一四名は、事態の推移によつては実力を行使してでも同巡査を救出する決意の下に、午後四時五〇分頃前記西部構内通用門前に赴き、先に同所に派遣されていた正田警部補らと合体した。右のような状況に立ち至つたため、斉藤巡査も、ついに巡回連絡を続けることを断念し、漸く西尾学生部長に誘導されて前記出入口に現われるや、付近に集まつていた二、三十名の学生と食堂内から出て来た被告人を含む十数名の学生とが合流し、同巡査を帰すまいとして再び同巡査を取り囲み、同巡査の体にぶらさがり、あるいは引張り廻し、あるいは足腰を蹴る等して極力前進を阻止し、これに対して同大学職員数名は、これを払い除ける等して同巡査をかばい、右の食堂出入口から北東四、五十メートルあたりにある同大学通用門までの間、約三〇〇名の学生の集合するなかを徐々に前進し、午後四時五八分頃辛うじて右通用門付近に達した。これより先、被告人は右山田委員長が斉藤巡査を西部食堂内に連れ戻つて詰問をはじめた頃から同食堂に赴き、そこに集まつてきた他の学生らと共に斉藤巡査を取り囲み、山田委員長らと同巡査との問答を十分に聴取し、かつ自らもつるしあげに加わり、同巡査が前記のとおり巡回連絡の職務を行なうため大学構内に来たが、予定どおり巡回連絡を行なうことも不可能となつたことを認識しながら、右委員長が同巡査を帰すことにした処置を不満とし前記のとおり、他の学生らとともに同巡査の前進阻止に努めてきただけでなく、同巡査が右通用門付近に到るや、同巡査が門外に出るのを阻止すべく前方に立ち塞がり、やにわに同巡査の胸倉を掴んで烈しく押し、両手で肩を押えつけ、また背後から襟首や帯革の負い革を掴んで強く引張る等の暴行を執拗に繰り返したことが認められる。この認定に低触する原審証人徳田三千雄の供述、被告人の原審供述は原審及び当審証人斉藤常夫の供述、司法警察職員作成の「京都大学西部構内事件の写真撮影結果について」と題する書面の記載及び「写真作成について」と題する昭和四一年五月二五日付書面二通中の写真に照らしたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そこで進んで、右被告人の行為が公務執行妨害罪を構成するか否かについて案ずるに、右の罪は、公務員の職務を執行するに当り、これに対して暴行又は脅迫を加えることよつて成立するところ、ここにいう「職務を執行するに当り」とは、職務を執行するに際しと同意義に理解すべきものであつて、職務の執行の着手からその終了に至るまでをいい、本件の巡回連絡もまた一般的にはその巡回先毎に職務が執行され終了する(派出所を出所してから帰所するまでのすべてをいうのではない)ものであることは既に説示したとおりであるが、しかし、もし当初より一定の時間内に数か所を順次訪問することが予定され、しかも、その訪問先が互いに近接し、短時間内に訪問することが可能であつて、それが社会通念に照らし客観的にも一個の巡回連絡と同一視し得る場合には、その範囲においては予定された巡回連絡が終わるまでなお一の巡回連絡と見るべきであり、従つて、一の訪問先より次の訪問先に移る途中もなおその巡回連絡の過程にあるものとして、これを職務の執行中と解するのを相当とする。そして、これを本件について見るに、右に認定したように斉藤巡査が山田委員長に呼び止められた時は、一応西部食堂の訪問に関する限りその巡回連絡の職務は一応終わつていたといえないことはないけれども、同巡査は、それから直ちに同大学構内の工学部高分子教室のほか保険会社をも順次訪問する予定であり、しかも、それらのうち殊に右高分子教室とは互いに近接し、短時間にその職務を終えることが可能であつたことが認められるほか、同巡査も午後二時から四時までをその巡回連絡にあてていたこと等に徴し少くとも右西部食堂及び高分子教室に対する巡回連絡に関する限り、社会通念に照らし客観的にも一個の巡回連絡と同一視し得られるから、これらを包括して一の巡回連絡の執行と認めるのが相当である。さすれば斉藤巡査が西部食堂を出た時点においては、次の訪問先である高分子教室に赴く途中で、未だ巡回連絡は終わつていなかつたものとみるべきであるから、同巡査はなおその職務の執行中であつたものということができる。従つて、かかる際同巡査に暴行を加えるときは、公務執行妨害罪を構成することもちろんである。原判決は、この点について「判示食堂内での連絡を終わつたことにより巡回連絡はすでに終わつており、しかも同食堂を出て帰るため校門に向かう途中、むしろ校門に近い場所まで行つている状況の下に於ては、職務執行の終了直後とも認められない」旨判断して公務執行中であることを否定している。なるほど、斉藤巡査が被告人より暴行を加えられた時点の現象のみをみるときは、あるいは原判決の見解も首肯できないわけではない。しかし、その職務の執行の妨害となるべき行為は、その時点において初めて加えられたのではなく、先に認定したとおり、同巡査が西部食堂の訪問を終わりその直後次の訪問先に赴くべく同食堂を出た際、山田委員長の要求によつて再び同食堂に引き返さざるを得なくなり、同人や被告人を含む多数の学生達によつて執拗に監禁に等しいつるしあげにあい、遂に予定の巡回連絡を断念するの已むなきに至つたが、さらにこれに引き続いて被告人から右暴行が加えられたのであつて、もし右巡査の釈明を納得し同巡査をつるしあげる等の行為がなかつたならば、予定どおり他の巡回先を訪問する筈であつたし、かつ、それは十分可能であつたのである。しかるに、右巡査を帰すまいとする被告人を含む多数の学生達によるつるしあげによつてそれが不可能となり、しかも、被告人はそれらの事情を認識しながら、なお同巡査の前進を阻む等したあげく暴行を加えたものであるから、同巡査に対する職務の執行の妨害は、もとより被告人のみによるものではないにしても、右食堂内におけるつるしあげ行為から被告人の右暴行に至る一連の行為によつてなされたものと解すべきである。従つて、右巡査が職務の執行中であつたか否かは、単に被告人が同巡査に暴行を加えた時点の現象のみを捉えてこれを判断すべきものではなく、ことここに至つた経過を客観的に観察し、それが食堂内におけるつるしあげ行為に端を発した一連の行為であることを考慮して判断すべきである。そうだとすると、被告人が右巡査に暴行を加えた時点においては、もはや巡回連絡は不可能になつていたとしても、右暴行はなお巡回連絡の職務の執行中とみられる時点において、同巡査に加えられた前記被告人を含む学生達によるつるしあげ行為に引き続くものとして、なお公務執行妨害罪を構成するものと解するのが相当である。しかるに原判決が、被告人の右所為について公務執行妨害罪の成立を否定し単純暴行罪のみを以て処断したのは、法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべく、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点に関する論旨は理由がある。

よつて、当裁判所は、その余の論旨(予備的主張)に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条、第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但し書に従いさらに次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、京都大学農学部学生であるが、昭和四一年五月二五日午後二時四〇分頃京都府川端警察署東一条巡査派出所勤務、警ら第一係巡査斉藤常夫(当時三八才)が警察官の正規服装で、防犯、災害等防止の指導連絡、受持区の実態は握のため、京都大学西部構内所在の同大学生活協同組合西部食堂に巡回連絡に赴き、同食堂主任藤原宇之助に対し同食堂の理事者氏名、夜間宿直員の有無、非常時の連絡先等を尋ね、以前に行なわれた巡回連絡の時点後に異動のあつたものについては携行していた右派出所備付の案内簿の官公署等カードに記載する等して五、六分で同所を立ち出で、次の巡回連絡先である同大学工学部高分子教室へ行くべく同食堂から同大学西部構内を東方に向かつて二、三十メートル歩いた際、京大同学会山田委員長に呼び止められ、大学構内に立ち入つた目的を質されたので、右の職務で来た旨答えたが納得しないので、同人に求められるままにその真偽を明らかにするため同人と共に再び西部食堂に引き返し、藤原主任に右事実を述べてもらつた。ところが、巡回連絡の名の下に他の目的で来たのではないかと疑つた山田委員長は、依然同巡査を同所に引き留めたまま、その場に集まつてきた被告人を含む五、六十名の学生達と共に取り囲んで同様な質問を執拗に繰り返してつるしあげ、また右の案内簿や警察手帳を呈示させ、さらに大学構内に立ち入つた目的と無断で同構内に立ち入つた旨の誓約書を書かせる等した後、同大学教授西尾学生部長の執り成し等もあつて午後四時四七分頃漸く同巡査を帰すことになり、西尾学生部長が同巡査を誘導して同食堂北東側出入口に向かつたところ、これを不満とする被告人を含む多数の学生達が前方に立ちはだかる等して前進を阻む一方、これに反対する学生もあつて、両者の間で小競合いが始まり、混乱のうちに午後四時五二分頃右出入口に出るや、付近に集まつていた二、三十名の学生と食堂内から出て来た十数名の学生とが合体して再び同巡査を取り囲み、あちこちから同巡査の体にぶらさがり、あるいは引張り、足腰を蹴る等して極力前進を阻止したが、同巡査に付き添つてきた西尾学生部長及び同大学職員がこれを払い除ける等して同巡査をかばい、右の食堂出入口から北東四、五十メートルあたりにある同大学通用門までの間、約三〇〇名の学生の集合する中を徐々に前進し、午後四時五八分頃辛うじて右通用門付近に達した。これより先、被告人は、西部食堂内において他の学生らと共に斉藤巡査を取り囲み、山田委員長らと同巡査との問答を十分に聴取すると共に右のつるしあげにも加わり同巡査が右の職務を行なうため大学構内に来ていることを認識しながら、右委員長が同巡査を帰すことにした措置を不満とし、同食堂内から盛んに同巡査の前進阻止に努めてきたが、同巡査が右通用門付近に到るや前方に立ち塞がり、やにわに同巡査の胸倉を掴んで烈しく押し、両手で肩を押えつけまた背後から襟首や帯革の負い革を掴んで強く引張る等の暴行を加え、もつて同巡査の職務の執行を妨害したものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第九五条第一項に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、その罪質、態様にかんがみその所定刑期範囲内で被告人を懲役四月に処し、なお執行を猶予するのを相当と認め同法第二五条第一項により本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文により原審及び当審共全部被告人をして負担させることとする。

よつて主文とおり判決する。

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